西北九州弥生人の遺伝的な特徴

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、西北九州「弥生人(弥生文化関連個体)」の遺伝的な特徴に関する研究(篠田他., 2019)が報道されました。最近、「弥生人」の遺伝的構成に関するやり取りを見かけたこともあり、「弥生人」の遺伝学的側面の基本文献となる本論文を取り上げるとともに、本論文刊行後の研究にも言及します。

 弥生時代は、日本列島に本格的な水田稲作がもたらされ、在来の「縄文人」と稲作を持ち込んだ主体と考えられるアジア東部本土(大陸部)から到来した人々との混血が始まる時期とされています。そのため、この時期の日本列島には在来集団と大陸から渡来した集団の双方が存在した、と考えられています。形質人類学的な研究から、最初に渡来系集団が侵入した九州ではその情況を反映して、渡来系集団と在来の「縄文人」の系統である西北九州の「弥生人」が存在し、さらに独特の形質を持つ南九州の「弥生人」が暮らしていた、と指摘されています。しかし、各集団の関係や、その後の混血の状況については、依然として多くが不明です。

 長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡では、2個体の弥生時代人骨(成人女性の下本山2号と成人男性の下本山3号)が出土しています。放射性炭素年代測定法による較正年代では2001~1931年前頃と推定されています。この遺跡は西北九州「弥生人」の居住地域にあり、出土した人骨の形質も「高顔傾向が見られる点に留意しなければならない」と指摘されつつも、全体的には北部九州の「渡来系弥生人」よりは縄文時代の人々と類似する、との結論が提示されています。つまり、下本山岩陰遺跡の弥生時代の2個体は、形質の面からは他の西北九州の弥生時代の人々と同じく、「縄文人」の系統を引く集団の構成員と判断されます。

 本論文は、次世代シークエンサ(NextGeneration Sequencer、NGS)を用いて核DNA を分析し、この問題の解決を目指します。核ゲノムは両親から継承されるので、遺伝的に異なる集団からの遺伝子の寄与についての情報を得られます。2010 年以降、NGSは古代人遺骸のDNA分析に用いられるようになり、得られた核ゲノムの情報は、分析された標本の由来や形質に関して、以前の方法では得られなかった精度の高い推定が可能になっています。日本でも北海道の礼文島の船泊遺跡(関連記事)や愛知県田原市伊川津町の貝塚(関連記事)で発見された「縄文人」の核ゲノムが解析されており、その系統的位置についての情報が得られるようになっています。アジア東部本土から稲作農耕民が最初に侵入したとされる北部九州地域の情況を知ることは、現代日本人の成立を知る上で重要な知見となります。その意味でも西北九州「弥生人」の核ゲノム解析は重要です。


●DNA解析結果

 性染色体のDNAのリード数から、下本山2号は女性、下本山3号は男性と判定されました。下本山3号のY染色体ハプログループ(YHg)はOの可能性が高い、と推定されましたが、それ以上の下位区分はできませんでした。ミトコンドリアDNA(mtDNA)の系統解析では、同一の石棺に合葬された上記の2 体のうち、2号女性のmtDNAハプログループ(mtHg)はM7a1a4、3号男性はD4a1で、前者は典型的な「縄文人」の系統、後者は「渡来系弥生人」の系統のmtHgと判明しています。この異なる2つのmtHgが同一の遺跡、しかも同じ石棺墓に埋葬されていたことは、2号と3号が夫婦関係にあることともに、在来の縄文系集団と弥生時代以降の渡来系集団との混合が始まっていることを予想させますが、母系遺伝のmtHgのデータだけでは、その程度について結論を提示することは困難です。

 そこで、核ゲノムデータでの分析が行なわれました。1KG(1000人ゲノム計画)およびSGDP(サイモン図ゲノム多様性計画)のデータとの比較の結果、下本山2号および3号(以下、両者をまとめての分析では下本山弥生人と表記します)は主成分分析ではともに、本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」人と縄文人との間に位置します。日本列島の本土とアイヌと沖縄人という3集団との比較でも、下本山弥生人は本土および沖縄集団とアイヌ集団との間に位置し、アイヌ集団の一部とは重なっています。

 外群f3統計(ムブティ人;検証集団X、下本山弥生人)で集団間の遺伝的類似性を比較すると、下本山弥生人は伊川津縄文人や船泊縄文人と最も多く遺伝的浮動を共有し、両者と遺伝的に近い集団と示されました。また、その次に近いのは日本列島の3人類集団で、これは主成分分析の結果と一致します。f4統計(ムブティ人、船泊縄文人;下本山弥生人、検証集団X)でも、下本山弥生人は現代のどの集団よりも縄文人との遺伝的類似性を示しました。また、有意ではないものの、下本山弥生人は船泊縄文人よりも伊川津縄文人の方と遺伝的に近い傾向を示し、外群f3統計の結果とも一致します。

 次に、f4統計(ムブティ人、検証集団X;下本山弥生人、船泊縄文人)で、下本山弥生人に弥生時代以降のアジア東部本土からの渡来系の遺伝的要素が含まれるのか、検証されました。その結果、有意ではないものの、下本山弥生人は船泊縄文人と比較してアジア東部本土集団との遺伝的類似性を示す傾向が確認されました。最後に、弥生時代以降のアジア東部本土からの渡来系要素が下本山弥生人と現代日本人のどちらに多く含まれるのか検討するため、f4統計(ムブティ人、検証集団X;下本山弥生人、現代日本人)が実行され、現代日本人がアジア東部本土か集団との遺伝的類似性が有意に高い、と示されました。


●考察

 上述のように、下本山3号はYHg-Oで、それ以上の下位区分はできませんでしたが、これは渡来系弥生人に由来する、と推測されます。下本山3号はmtHg-D4aで、父系でも母系でも弥生時代以降にアジア東部本土から到来した系統と考えられます。しかし、核ゲノム解析では、下本山3号も縄文人系の遺伝子を有していると示され、在来の縄文集団と弥生時代以降のアジア東部本土からの渡来系集団の双方に由来するゲノムを有している、と明らかになりました。同様に、縄文人系のmtHg-M7a1a4を有していた下本山2 号女性人骨も、核ゲノム解析からは渡来系弥生人に由来すると考えられる遺伝子も有している、と示されました。このような集団内に異なる系統の遺伝子が混在している状況をmtDNAやY染色体DNAの情報で明らかにするには、同一の遺跡から出土した多数の標本を分析する必要があります。しかし、わずかな個体を解析するだけでも混血の状況を明らかにできる核ゲノム解析は、得られる標本が少ない遺跡の解析にはとくに有効であることを示しています。

 日本列島の人類集団の形質は、縄文時代から弥生時代にかけて大きく変化したことが知られており、弥生時代は現代日本人の成立を考える上で重要な時期です。この形質の移行期の九州には、出自の異なる3集団が存在した、と指摘されています。そのうち、西北九州弥生人の顔面部の形態は、低顔性が強く、眉間から眉上弓へかけての高まりが著明で、鼻根部は深く陥没します。男性の身長は160cm以下とやや低く、四肢骨の比率でも、四肢骨の末端が比較的長い縄文人と共通した特徴を有しています。その形態学的な特徴をまとめた研究では、四肢骨の形状に古墳時代の人々につながる特徴も認められていますが、西北九州弥生人は人骨形質と考古学的所見を合わせて、「縄文人の継続であって、新しい種族の影響を受けたとは考えにくい」との結論が提示されています。西北九州弥生人の歯の形態に関する研究でも、北部九州弥生人が縄文人および西北九州弥生人と比較して大きな歯を有し、縄文人と西北九州弥生人との間にはほとんど有意差がなかったことを見いだしており、西北九州弥生人は縄文人の系統の集団である、との結論を提示しています。

 下本山岩陰遺跡は1970 年に発掘されており、以前の研究で西北九州弥生人の遺跡分布の範疇として指摘された地域内に位置します。下本山岩陰遺跡の人骨形態に関する研究では、箱式石棺に埋葬されていた2 号と3 号骨は、縄文人と共通する低顔、凹凸のある鼻根部の周辺形態、四角い眼窩などの特徴を備えている、と報告されています。したがって形態学的な研究からは、下本山岩陰遺跡人骨は縄文人の形質を強く残した西北九州の弥生人集団に含まれる、と判断されます。

 一方、これまで紀元前3世紀から紀元後3世紀までの約600年間と考えられてきた弥生時代の年代幅は、大きく修正されつつあります。21世紀になっての高精度の炭素14 年代法による年代研究の結果、水田稲作が始まったのは、当時考えられていた紀元前5 世紀ごろではなく、約500年古い紀元前10世紀までさかのぼる可能性がある、と指摘されました。ただ、弥生時代の開始年代については議論が続いています(関連記事)。弥生時代が従来の想定よりも長期間に渡る可能性の提示から、この時代における集団の形質の変化についても、千年を超える時間範囲を念頭において考える必要があります。こうした情況において、九州の弥生集団を系統の異なる集団として固定的に把握することが適切なのか、改めて検討する必要があります。

 人骨の試料的な制約もあって、これまで弥生時代における形質の変化を追う研究は困難でした。しかし、高精度の核ゲノム解析が可能になったことで、これまで渡来系や在来系の集団と位置づけられていた弥生人も、時間の中で変化していくものとして把握することが可能となりました。本論文の分析では、下本山弥生人の遺伝的な特徴は、いずれも縄文人と現代の本土日本人の中間に位置する、と明らかになりました。また、下本山弥生人が船泊縄文人よりも伊川津縄文人に近い傾向を示したことから、地理的に近い縄文人が混血に寄与した可能性も示されました。

 主成分分析では下本山弥生人とアイヌの一部の個体が重なっていますが、これは一部のアイヌが本土日本人と混血することで類似の位置にいると考えられ、集団として互いが直接的に関係するわけではない、と推測されます。下本山弥生人は、放射性炭素年代法により弥生時代後期に属すると推測されているので、本論文の結果から、弥生時代末には西北九州地域でも在来の縄文集団と渡来系集団の混血がかなり進んでいた、と示唆されます。形態学的な研究では縄文人系と把握される集団でも、ゲノムの解析では混血が進んでいる、と明らかになったわけです。古代核ゲノム解析により、形態の変化からは定量的には把握できなかった縄文時代から弥生時代への移行の状況の解明が可能であることも示されました。

 本論文の最重要点は、九州の弥生社会が祖先を異にするいくつかの系統に分かれていたという図式から、弥生時代の状況を誤って解釈する可能性を示したことにあります。少なくとも、渡来系弥生人集団と西北九州の弥生人集団の間には、形態学的な研究が予想するよりもはるかに大規模な混血があり、双方は弥生時代の全期間にわたって明確に分離した集団ではなかった、と考えられます。ただ、その交雑の状況は、地域・遺跡ごとにさまざまだった可能性があり、本論文の分析から西北九州弥生人の遺伝的な性格を代表させることはできません。しかし、西北九州弥生人という集団は固定的なものではなく、時代とともに変化していった流動性のあるものだった、と把握する視点は重要でしょう。渡来集団が長い時間をかけて在来集団を取り込んでいったと考えれば、形態学的な研究が定義している渡来系弥生人と西北九州弥生人は、混血の程度の地理的・時間的な違いを固定化して見ているだけである、との解釈も成り立ちます。

 本論文は、1ヶ所の遺跡のわずか2個体を分析したものなので、この結果をそのまま九州全体の弥生時代の状況に演繹することは困難です。しかし、解析個体を増やしていくことで、古代核ゲノム解析は、九州における縄文時代から弥生時代にかけての集団の変遷について、更に詳細なシナリオを描くことになるはずです。日本列島本土では、弥生時代の幕開けとともにアジア東部本土から稲作農耕を行なう集団が渡来し、在来集団と混血していくことで現在につながる集団が形成されていきました。北部九州は、その渡来が最初に始まった地域であり、この地域での混血の状況を明らかにすることは、その後の日本列島での集団形成史を知るための重要な知見を提供します。幸いなことに、北部九州地域は、先人の努力により相当数の渡来系弥生人と西北九州弥生人の人骨が発掘され、保管されています。これらの人骨の核ゲノム解析を進めることで、日本人成立のシナリオは更に精緻なものになるはずです。


 以上、本論文についてざっと見てきました。弥生人の核ゲノム解析はまだ始まったばかりで、本論文が強調するように、少ない事例から時空間的に広範囲の状況を安易に推測してはならないでしょう。弥生時代の人類遺骸の核ゲノム解析では、渡来系弥生人とされている福岡県那珂川市の安徳台遺跡で発見された1個体は現代日本人の範疇に収まり、東北地方の弥生人男性は遺伝的に縄文人の範疇に収まる、と指摘されています(関連記事)。弥生時代の日本列島の人々の遺伝的構成は、縄文人とアジア東部本土集団の間で時空間的に大きな変動幅が見られるのではないか、と予想されます。日本列島の人類史において、弥生時代が最も遺伝的異質性の高い期間だった可能性も考えられます。

 本論文刊行後の研究では、縄文人はユーラシア東部内陸部南方祖先系統(56%)ユーラシア東部沿岸部祖先系統(44%)の混合として、現代本土日本人は縄文人(8%)と青銅器時代西遼河集団(92%)の混合としてモデル化でき、黄河流域新石器時代農耕民集団の直接的な遺伝的影響は無視できるほど低い、と推測されています(関連記事)。九州の縄文時代早期の人類遺骸のDNA解析からは、縄文人が時空間的に広範囲にわたって遺伝的にはかなり均質だった可能性も示唆されています(関連記事)。まだ縄文人と弥生人の核ゲノムデータは少なく、現代日本人の形成過程には不明なところが少なくありません。関東地方に関しては古墳時代における人類集団の遺伝的構成の大きな変化の可能性が(関連記事)、現代日本人の都道府県単位の遺伝的構造からは、古墳時代以降における近畿地方へのアジア東部本土からの移住の影響の可能性(関連記事)が示唆されているように、現代日本人の形成過程においては地域差と年代差も大きいと予想され、その解明には、時空間的により広範囲の古代人の核ゲノムデータが必要となります。


参考文献:
篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2019)「西北九州弥生人の遺伝的な特徴―佐世保市下本山岩陰遺跡出土人骨の核ゲノム解析―」『Anthropological Science (Japanese Series)』119巻1号P25-43
https://doi.org/10.1537/asj.1904231