さまざまな現生人類起源説

 現生人類(Homo sapiens)の起源に関して、日本(に限らないでしょうが)では多地域進化説とアフリカ単一起源説との対立という図式で語られることが多いようですが、単純に二分できる問題ではないと思います。現生人類アフリカ単一起源説は一般的に、次のように認識されていると思います。現生人類の唯一の起源地はアフリカで、世界中への拡散の過程でネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など先住の非現生人類ホモ属(絶滅ホモ属、古代型ホモ属)を置換していき、先住人類との間に交雑はなかった、と当初は想定されており(全面置換説)、現在では、ネアンデルタール人や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)といった非現生人類ホモ属との交雑により、現代人のゲノムにはわずかながら(1~5%)非現生人類ホモ属に由来する領域があると考えられています。また、1987年にミトコンドリアDNA(mtDNA)に基づく人類進化の研究が提示されるまで、現生人類多地域進化説が長い間定説になっていた、との認識(篠田., 2016、関連記事)や、mtDNA研究により初めて現生人類アフリカ単一起源説が主張されるようになった、との認識も広く見られるように思います。

 しかし、一般向けの記事(Hammer., 2013、関連記事)で解説されているように、現生人類の起源についての本格的な遺伝学的研究以前に、形質人類学的研究により現生人類アフリカ単一起源説が主張されており、激論となっていました。また、現生人類アフリカ単一起源説でも、すでにブロイアー(Günter Bräuer)氏は1976年の時点で、現生人類の起源地はアフリカではあるものの、世界各地への拡散の過程でネアンデルタール人と交雑した、と想定していました(Trinkaus, and Shipman.,1998,P473-475)。ブロイアー氏のアフリカ交配代替モデル説(Shreeve.,1996,P136-138)では、現生人類がアフリカから世界各地へと拡散する過程において、さまざまな程度で交雑が起きた、と想定されます。もちろん、アフリカからの現生人類の拡散年代やデニソワ人のような当時は知られていなかった知見など、ブロイアー氏のアフリカ交配代替モデル説が現在そのまま通用するわけではないとしても、1976年の時点で化石証拠から現在の有力説とかなり通ずる仮説を提示していたブロイアー氏の先見の明には驚かされます。

 一方、現代人の多地域的な進化を想定する見解は以前からあり、ヴァイデンライヒ(Franz Weidenreich)氏は20世紀半ばに、オーストラリアとアジアとアフリカとヨーロッパの4地域それぞれで、相互の遺伝的交流も想定した長期の進化の結果として現代人が成立した、と提唱しましたが、この見解は20世紀半ばに成立した進化総合説を前提としたものではないこともあり、当初はさほど影響力のある説ではありませんでした(Trinkaus et al.,1998,P314-316,P349-355)。現生人類の起源に関して、アフリカ単一起源説と対立する仮説としての多地域進化説の成立は意外と遅く、1981年に、アメリカ合衆国(というかミシガン大学)とオーストラリアと中国の研究者が中心になり、世界各地の連続性と遺伝子流動による現代人の成立が主張されました(Shreeve.,1996,P124-127)。

 前置きが予定より長くなってしまいましたが、本題はここからです。こうした現生人類の起源をめぐる議論において、日本人としては無視できないというか、一度整理しておきたいと考えていた仮説があります。それは、現生人類の起源をめぐる一般向けの本の訳者あとがき(1993年12月5日付)にて河合信和氏が述べた現生人類の東西二地域進化説です(Fagan.,1997,P331)。河合氏は、「また九三年秋に、馬場悠男氏は、東アジアと中東・ヨーロッパでは新人移行のシナリオが異なるとした東西二地域進化説を提唱した。新人起源の問題の決着は、なお時間を要するかもしれない」と指摘しています。「新人」は現生人類と読み換えて大過ないと思います。河合氏の指摘した文献は、1993年に刊行された論文(馬場.,1993)と思われるので、以下その内容を見ていきます。


●現生人類東西二地域進化説

 馬場.,1993(以下、馬場論文)は、まず現生人類の起源をめぐって多地域連続進化説(以下、多地域進化説)とアフリカ起源説(以下、アフリカ単一起源説)があることを指摘し、アフリカ起源説の根拠としてmtDNA研究を挙げます。馬場論文はアフリカ単一起源説を全面置換説として把握したうえで、ジャワ島の「原人」、つまりホモ・エレクトス(Homo erectus)化石の研究に基づいて、現生人類というか現代人の起源に関する見解を提示します。次に馬場論文は、頭蓋化石の解釈に関する基礎的認識を整理しているので、以下述べていきます。

 頭蓋の形は、まず咀嚼器として大枠が規定され, 次には脳・眼・鼻のスペースの影響を受け、さらに姿勢との関連で全体的配置が決まります。これらの形態は、「猿人」から「原人」そして「古代型新人」をへて「現代型新人」に至る大きな進化の流れとしては、ほぼ一定傾向の変化を示す、と馬場論文は指摘します。なお、「頑丈型の猿人(パラントロプス属)」は現代人の直接的先祖とは考えられないので省略されています。人類の脳容量は200万年以上前の450mlから現在の約1450mlへと大きく増加します。眼を入れる眼窩はあまり変わりませんが、原人と古代型新人で大きい傾向があります。これは眼球自体のサイズよりも顔面あるいは身体全体のサイズと比例している可能性があります。鼻のスペース(鼻腔)は、吸った空気を暖め湿らせる必要があり、身体のサイズと気候に関係します。ただ、鼻腔のサイズは外鼻の高さとは必ずしも比例しません。咀嚼器の大きさは、脳とは逆に、ほぼ「進化段階」に反比例します。下顎第2大臼歯の近遠心径(前後径)では、変異の幅は広いものの、200万年前頃の「猿人」の15mmから現代人の11mmまで連続的に縮小します。これは、一見するとあまり違わないようですが、咬合面の面積では半分近く、歯の体積ではさらに違いがあります。しかし、顎と咀嚼筋の大きさは必ずしも「進化段階」とは比例せず、「猿人」と「原人」とではほとんど同じで、「古代型新人」以降で急速に退縮します。したがって、歯に比べて咀嚼筋と顎が最も大きいのは「原人」です。頭蓋の後下面の項筋付着部は「原人」が最大で、「古代型新人」が続き、「猿人」と「現代型新人」は小さいと示されています。これは、かつて主張された、前方に突出した顔面を支えるための項の筋肉の発達というよりも、背筋自体の大きさ、すなわち上半身の筋肉の総量、あるいは身体のサイズを反映すると考えるべきです。

 馬場論文はこのように整理した上で、「ジャワ原人」、つまりホモ・エレクトスの化石を検証していきます。ジャワ島のホモ・エレクトスの年代は、馬場論文では100万~70万年前頃とされています。最近では、ジャワ島におけるホモ・エレクトスの出現年代は、サンギラン(Sangiran)遺跡の人類遺骸に基づいて127万年前頃もしくは145万年前頃以降(Matsu’ura et al., 2020、関連記事)、最後の痕跡は117000~108000年前頃と(Rizal et al., 2019、関連記事)と推定されていますが、もちろん、この年代が今後訂正される可能性はあります。馬場論文は、ジャワ島のホモ・エレクトスの脳容量が800~1100mlで、下顎第2大臼歯の近遠心径は12.5~15mmと変異が大きいことから、2群の集団の混成なのか、進化傾向なのか、単なる個体変異か、あるいは性差なのかが問題となっている、と指摘します。とくに、歯と下顎がきわめて大きい数個の化石は、ジャワ島のホモ・エレクトスとは別のメガントロプスである、との議論が昔からあるものの、確かにこれらの化石は大きいとはいえ、他のジャワ島のホモ・エレクトス化石と比べると、形態は区別できず、大きさも連続的に移行しており、独立した1群を作るとは言えない、と馬場論文は指摘します。最近の研究では、ホモ・エレクトスなどに分類されていた歯や顎の化石の一部は、前期~中期更新世のアジア南東部における存在が確認されていたホモ属でもオランウータン属でもギガントピテクス属でもない新たなヒト科系統として分類されており、メガントロプス・パレオジャワニカス(Meganthropus palaeojavanicus)というかつての分類名が採用されています(Zanolli et al., 2019、関連記事)。

 ジャワ島のホモ・エレクトスの進化傾向に関して、頭蓋の大部分が保存されているために同一個体と明らかになっている80万年前頃と比較的新しいサンギラン17号は、脳容量が大きくて歯は小さい、と示されています。サンギラン遺跡のホモ・エレクトスは、さかのぼるほど歯は大きい傾向があり、ジャワ島のホモ・エレクトスにおける形態変異は進化傾向によると考えるのが妥当で、個体変異と性差に関しては証拠がほとんどない、と馬場論文は指摘します。ジャワ島中央部のソロ川(Solo River)流域のンガンドン(Ngandong)遺跡で発見されたソロ人は、ジャワ島の最後のホモ・エレクトスとも言われていますが、馬場論文では20万~10万年前頃(上述のホモ・エレクトスの最後の痕跡に関する研究では117000~108000年前頃)の「古代型新人」と評価されています。ソロ人は眼窩上隆起や横後頭隆起が発達しているので「原人」的に見えるものの、頭蓋冠が高く脳容量も1200~1300mlほどになる、と馬場論文は指摘します。

 馬場論文はサンギラン17号の分析結果を報告していますが、その部分的復元は正確とは言い難く、とくに顔面の歪みが大きい、と指摘します。サンギラン17号頭蓋はひじょうに硬くて脆いので、化石を6分割して造った石膏の複製模型を加工し、化石と比較しながら可能な限り正確な復元が行なわれました。サンギラン17号の脳頭蓋は大きく頑丈です。長く幅広いので高さは低く、眼窩上隆起と横後頭隆起そしてブレグマ(頭頂部)が出っ張っているので、横から見た輪郭は菱形に近くなります。脳頭蓋は大きいものの、同時に骨が厚いので、脳容量は1000mlを超える程度しかありません。しかし、「原人」の脳容量が一般的に800~1200mlであることから判断すると、「進歩的な部類」に属し、脳を入れている脳函自体と眼窩上隆起との分離傾向が弱いことも「進歩的」である、と馬場論文は評価します。

 サンギラン17号では側頭筋が発達しているため、側頭筋の上縁となる側頭稜と下縁となる乳突上稜が突出しています。また、項の筋肉の発達が強いために乳突上稜はさらに発達して横に張り出しています。その結果、後方から見た脳頭蓋輪郭は、低い逆さ台形の上に肩付きテントを張ったような7角形です。このような形態は、脳頭蓋も身体も大きい「進歩的な」原人の典型と言える、と馬場論文は評価します。なお、サンギラン17号の頭蓋の項筋付着部の面積は、20世紀前半の大型力士だった出羽ヶ嶽の頭蓋と同じくらいです。出羽ヶ嶽は元横綱の曙と同じくらいの体格で、普通の人の3倍以上の力があったはずなので、サンギラン17号も、身長は普通ではあるものの、力は曙に匹敵しただろう、と馬場論文は推測します。

 サンギラン17号は、新たな復元により以前とは異なる形態を示します。顔面全体が後方に上方に移動し、脳頭蓋との位置が整えられました。顔面自体も歪みが取れて不足部分も補われたので、顔のイメージが明らかになりました。眼窩上隆起に比べて頬骨の膨隆が目立ち、頬骨下部の幅が著しく大きいので、あまり恐そうな雰囲気ではない、と馬場論文は評価します。鼻は小さくて鼻骨は狭く、ほとんど隆起しません。鼻の穴(梨状口)はいちじるしく低く、口はあまり出っ張っていません。つまり、歯列は現代人に比べれば前進しているものの、頬骨の位置に比べるとあまり前進していないので、顔全体は平坦に見えます。これらの特徴は「モンゴロイ」ド的である、と馬場論文は評価します。また、眼窩が大きいことも併せると、あたかも巨大な幼児の顔面を見ているような印象である、と馬場論文は指摘します。頬骨が頑丈で外側に前方に位置していることは、咬筋のいちじるしい発達を意味しており、咬む力は現代人の5倍はあっただろう、と推測されます。一方、歯は小さく、顔面全体の大きさと頑丈さに比べていちじるしく不均衡な印象を与えます。咀噛力が強い割に歯が減らないという、特殊な食生活の存在が示唆されます。

 多地域進化説の提唱者であるソーン(Alan Thorne)氏とウォルポフ(Milford H. Wolpoff)氏は1981年に、サンギラン17号頭蓋とオーストラリア先住民頭蓋との(分岐系統学的)共有特徴、つまり人類進化の地域固有連続性の根拠を指摘しました。馬場論文は、その12個の特徴のうち、化石の保存状態が悪いためによく確認できなかったものの、復元作業の途中あるいは結果として明らかになった6個の顔面特徴を検討します。サンギラン17号の突顎の程度は強いものの(大後頭孔から鼻根までの距離に対する大後頭孔から中切歯までの距離の百分率である突顎示数は117)、ソーン氏とウォルポフ氏(以下、TW)の復元(示数121.9)よりは弱くなります。TWの復元における突顎の程度が著しすぎる点に関しては多くの批判があり、馬場論文も適当とは評価していません。いずれにせよこの示数117は、オーストラリア先住民を含めた現代人よりも大きく、「原人段階」の状態を表す、と馬場論文は指摘します。

 TWの報告では頬上顎縫合に沿う隆起とされている頬骨(頬上顎)結節は、他の研究では、カストでは見られないと指摘されていますが、ウォルポフ氏は化石には存在すると主張しています。馬場論文は、ヴァイデンライヒ氏が1943年に報告したシナントロプス(いわゆる北京原人)やカブウェ頭蓋のような頬骨外面下部に膨隆する結節は認められなかった、と評価します。カブウェ頭蓋とは1921年に北ローデシア(現在のザンビア)で発見されたブロークンヒル(Broken Hill)頭蓋のことで、年代は30万年前頃と推定されています(Grün et al., 2020、関連記事)。なお、サンギラン17号の頬骨外面最下部には小結節がいくつかありますが、咬筋付着による骨増殖変化と考えられます。頬骨外面下縁の外反は見られませんが、頬骨下部全体が外側に張り出しており、さらに強固な構造を造っているので、下縁の外反と同様なものと見なせるだろう、と馬場論文は評価します。

 眼窩下縁外側部の丸みは、サンギラン17号では眼窩下縁中央部から内側2cmほどに丸みがわずかに認められるだけで、中央部から外側では眼窩入口は鋭い稜となっているので、他の「原人」に見られるような典型的状態とは異なっています。梨状口(鼻の穴)の下面が(境界稜を持たずに)そのまま上顎骨前面に移行することは、梨状口下面にマトリックスが付着しているために部分的にしか確認できませんが、その範囲ではスムースな移行が認められました。上顎臼歯部の歯槽面が強い湾曲をなす点に関しては、サンギラン17号では通常のスピー曲線が認められるだけで、特別の湾曲はありません。なお、TWの復元では歯槽平面が耳眼面に対し強く傾きすぎている、との指摘がありますが、今回の復元では傾斜は緩くなり、通常の範囲に納まっています。

 まとめると、以上の6個の特徴の中で、頬上顎結節と歯槽面の急湾曲は認められず、眼窩下縁外側部の丸みは極めて不明瞭で、突顎はあるものの程度は少なく、頬骨下縁外反と梨状口下縁に境界のない点だけがなんとか認められました。したがって、TWの主張する連続性の基礎となったサンギラン17号の顔面特徴の把握はかなり怪しい、と馬場論文は評価します。馬場氏がこの点をウォルポフ氏に問い質したところ、復元と研究期間が10日しか与えられなかったため、との回答がありました。いずれにしても、サンギラン17号がオーストラリア先住民とのみ系統的に近いという根拠はかなり弱められたと考えるべきだろう、と馬場論文は評価します。他の研究で指摘されているように、ホモ属の中では分岐系統関係を直接判断できる頭蓋形態特徴はほとんどあり得ません。サンギラン17号とアジア東部現代人あるいはオーストラリア先住民との関係を判断するためには、それぞれの特徴の生物学的意味を吟味し、類似傾向を判断することが重要になる、と馬場論文は指摘します。

 サンギラン17号頭蓋の顔面は低く(短く)広いことが特徴です。眼窩と頬骨が大きい割に梨状口と歯が小さく、頬骨が前外側に位置しているため、顔面が平坦です。このような構造の機能的意義は、顎関節を支点としたさいに、歯列に対し咀噛筋(主として咬筋)の位置を近くに(前方に)置いてテコ比をかせぎ、同時に筋肉の断面積を増して咬合圧を高めることです。このような構造は「頑丈型の猿人」にも見られます。しかし、「原人」以降ではアジアの人々にしか見られません。その中でもとくにサンギラン17号は、最も著しい頬骨の発達と平坦性を示すので、アジア人の、あるいは広義の「モンゴロイド」の根幹をなす化石と言える、と馬場論文は評価します。

 それに対して、アフリカおよびヨーロッパの「原人」以降の人々では、顔の中央付近が前方に突出し、頬骨は小さく後退しています。また、一般に顔が高く(長く)、とくにネアンデルタール人では頬骨弓が弓なりに反って上方に位置しています。このような構造は、テコ比の面で咬合圧を高めるには不利ですが、咀嚼筋が歯列に対して相対的に後方に位置しており、咬筋自体も長いため、口を大きく開けることができます。ネアンデルタール人特有の臼歯後隙(第3大臼歯の後ろの下顎枝とのあいだの隙間)も、歯の退化に下顎の退化が追いつかないなどという小理屈をこね回さずに、歯列を咬筋に対し前方に押し出すためと積極的に解釈できる、と馬場論文は指摘します。

 「原人」の時代から現代まで、アジアという東方の地域では頬骨の張った平坦顔が、ヨーロッパとアフリカという西方の地域では頬骨の後退した突出顔が続いてきました。顔の高さ(長さ)の点でも、東方が低くて西方が高い、という傾向があります。「現代型新人」の起源をめぐって、多地域進化説とアフリカ起源説の論争が盛んですが、以上の観点から判断すると、咀嚼機能のパターンの違いに基づく西方と東方の地域の区分はかなり明瞭です。そこで馬場論文は、人類の二地域連続進化説を提唱します(図1)。この仮説の意図するところは大きな区分であり、それぞれの区分の中で部分的な置換が起こったかどうかは問題としません。たとえばヨーロッパ西部では、ネアンデルタール人と現代型新人との問でほぼ全面的な置換が起こった、と馬場論文は想定しています。以下、馬場論文の図1です。
画像

 人類進化の直接の証拠となる人骨化石はきわめて少ないので、数十万年以上にわたって進化を追えるような地域はほとんどありません。インドネシアでは100万年前頃から現在まで続いているように思われますが、実際は100万~70万年前頃と20万~10万年前頃(上述のように、現在ではこの年代は訂正されています)、そして最近1万年だけで、途中は抜けています。しかし、今後の調査研究により空白時期が埋められる可能性は高い、と馬場論文は指摘します。サンギラン17号がアジア人の共通幹との本論文の見解に立てば、「ジャワ原人」は日本人の遠い祖先でもあります。


●現生人類東西二地域進化説の撤回

 以上のように、馬場氏は1993年に現生人類東西二地域進化説を提唱しましたが、2000年刊行の一般向け新書では、アジアの「新人」、つまり現生人類の起源に関して、「ジャワ原人」から進化したのか、アフリカ起源の現生人類が拡散してきたのか、今も議論が続いている、と述べている程度で(馬場.,2000, P151)、強くは主張していません。馬場氏はこの頃には、現生人類東西二地域進化説に懐疑的になっていたのかもしれません。なお、同書は旧石器捏造事件発覚(2000年11月5日)の3ヶ月ほど前に刊行されましたが、東北旧石器文化研究所の「業績」について触れ、「だが一方で、これらの“物証”には、疑問をもつ研究者も少なくない」と指摘しています(馬場.,2000, P159-161)。さらに馬場氏は、山形県寒河江市の富山遺跡について触れ、この遺跡に他の旧石器時代の遺跡のような不自然さがないことを指摘し、研究所の「業績」への疑問を示唆しています。馬場氏は捏造実行者との会話から、すでに捏造発覚以前に研究所の「業績」が怪しいと考えていたそうです(毎日新聞旧石器遺跡取材班.,2001, P220-221)。

 馬場氏が明確に現生人類東西二地域進化説を撤回したのは、ジャワ島のホモ・エレクトスの研究が進展したからでした(馬場.,2005)。馬場氏は2001年秋に保存状態良好なジャワ島のサンブンマチャン(Sambungmacan)遺跡のホモ・エレクトス化石を分析し、これがジャワ島の前期ホモ・エレクトスと後期ホモ・エレクトスの中間の形態を有する、と明らかにしました。つまり、ジャワ島のホモ・エレクトスでは、前期から中期を経て後期へと独自の特徴が発達したわけです。ジャワ島のホモ・エレクトスは他の地域から隔離されと特殊化していったので、特殊化したジャワ島の後期ホモ・エレクトスが短時間でオーストラリア先住民に進化する可能性は事実上ない、と馬場氏は指摘します。馬場氏たちの研究により、現生人類多地域進化説の最後の根拠が否定され、間接的に現生人類アフリカ単一起源説が擁護された、というわけです。なお、その後の研究では、ホモ属頭蓋は大きくエレクトスの系統とサピエンスの系統に区分でき、ジャワ島のホモ・エレクトス化石のうち、前期更新世のトリニール(Trinil)やサンギランの遺骸はエレクトス系統に分類されるものの、後期のガンドン(Ngandong)遺跡とサンブンマチャン遺跡の遺骸はサピエンス系統に分類されています(Zeitoun et al., 2016、関連記事)。ただ、この研究がどこまで妥当なのか、議論があるとは思います。

 現生人類東西二地域進化説の提唱と撤回は、形態学的特徴による区分がいかに難しいのか、改めて示しているように思います。人類化石はたいへん貴重なので、つい過剰に意味づけしようとする心理が作用するのかもしれません。しかし、ひじょうに少ない人類化石を形態学的分析のみで人類進化史において系統的位置づけることは難しく、この点では、1個体からでも保存状態良好ならば膨大な情報が得られるDNA解析には遠く及ばない、と考えるべきなのでしょう。この問題に関しては、以前にまとめたことがあります(関連記事)。

 具体的には、たとえば2006年にモンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で採掘作業中に発見された人類の頭蓋冠は、その形態からネアンデルタール人もしくはホモ・エレクトスに分類される可能性さえ示唆されましたが、遺伝的分析では非アフリカ(出アフリカ)系現代人の変異内に収まり、アジア東部人集団に近いものの、ユーラシア西部集団の遺伝的影響も一定以上受けており、ネアンデルタール人やデニソワ人など非現生人類ホモ属からの遺伝的影響は、近い年代のユーラシア現生人類と変わらない、と明らかになっています(Massilani et al., 2020、関連記事)。中華人民共和国広西チワン族自治区の隆林洞窟(Longlin Cave)では11000年前頃の人類遺骸が発見されており、非アフリカ系現代人の共通祖先とは早期に分岐した現生人類か、非現生人類ホモ属である可能性さえ指摘されていました(Curnoe et al., 2012、関連記事)。しかし、核ゲノム分析から、この隆林個体は明確にユーラシア東部現代人の変異内に位置づけられ、非現生人類ホモ属からの遺伝的影響はとくに高いわけではなくアジア東部現代人と類似している、と明らかになりました(Wang et al., 2021、関連記事)。最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)など気候悪化により人類集団が分断され、ボトルネック(瓶首効果)や新たな環境への適応により形態に大きな違いが生じることは、人類史において珍しくなかったのかもしれません。その意味で、少ない人類遺骸を人類進化に位置づけることには慎重であるべきなのでしょう。


参考文献:
Curnoe D, Xueping J, Herries AIR, Kanning B, Taçon PSC, et al. (2012) Human Remains from the Pleistocene-Holocene Transition of Southwest China Suggest a Complex Evolutionary History for East Asians. PLoS ONE 7(3): e31918.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0031918
関連記事

Fagan BM.著(1997)、河合信和訳『現代人の起源論争 新訂版』(どうぶつ社、原書の刊行は1990年、初版の刊行は1994年)

Grün R. et al.(2020): Dating the skull from Broken Hill, Zambia, and its position in human evolution. Nature, 580, 7803, 372–375.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2165-4
関連記事

Hammer MF. (2013)、『日経サイエンス』編集部訳「混血で勝ち残った人類」篠田謙一編『別冊日経サイエンス194 化石とゲノムで探る 人類の起源と拡散』(日経サイエンス社、初出は『日経サイエンス』2013年11月号)P84-89
関連記事

Massilani D. et al.(2020): Denisovan ancestry and population history of early East Asians. Science, 370, 6516, 579–583.
https://doi.org/10.1126/science.abc1166
関連記事

Matsu’ura S. et al.(2020): Age control of the first appearance datum for Javanese Homo erectus in the Sangiran area. Science, 367, 6474, 210–214.
https://doi.org/10.1126/science.aau8556
関連記事

Rizal Y. et al.(2020): Last appearance of Homo erectus at Ngandong, Java, 117,000–108,000 years ago. Nature, 577, 7790, 381–385.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1863-2
関連記事

Shreeve J.著(1996)、名谷一郎訳『ネアンデルタールの謎』(角川書店、原書の刊行は1995年)

Trinkaus E, and Shipman P.著(1998)、中島健訳『ネアンデルタール人』(青土社、原書の刊行は1992年)

Wang T. et al.(2021): Human population history at the crossroads of East and Southeast Asia since 11,000 years ago. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.05.018
関連記事

Zanolli C. et al.(2019): Evidence for increased hominid diversity in the Early to Middle Pleistocene of Indonesia. Nature Ecology & Evolution, 3, 5, 755–764.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0860-z
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Zeitoun V, Barriel V, and Widianto H.(2016): Phylogenetic analysis of the calvaria of Homo floresiensis. Comptes Rendus Palevol, 15, 5, 555-568.
https://doi.org/10.1016/j.crpv.2015.12.002
関連記事

篠田謙一(2016)「ホモ・サピエンスの本質をゲノムで探る」『現代思想』第44巻10号P57-67(青土社)
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馬場悠男(1993)「化石形態から見たアジアにおける人類の進化 ジャワ原人の最近の研究から」『Anthropological Science』101巻5号P465-472
https://doi.org/10.1537/ase.101.465

馬場悠男(2000)『ホモ・サピエンスはどこから来たか』(河出書房新社)

馬場悠男(2005)「意識を持つのは人間だけか」馬場悠男編『別冊日経サイエンス 人間性の進化』P4-8(日経サイエンス社)

毎日新聞旧石器遺跡取材班(2001)『発掘捏造』(毎日新聞社)

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