コーカサス現代人の起源とその移動経路

 コーカサス現代人の起源とその移動経路に関する研究(Gavashelishvili et al., 2021)が公表されました。コーカサスはヨーロッパとアジア、黒海とカスピ海の境界線上にある山岳地帯です。コーカサスでは、地理的範囲が比較的小さく、ほぼ温暖な気候にも関わらず、自然景観や動植物種や栽培家畜品種の多様性はひじょうに高くなっています。この多様性のため、コーカサスは世界の生物多様性のホットスポットの一つであり、地球上の全言語のほとんどを占める、かなりの言語多様性も含んでいます。

 コーカサスは世界の重要な退避地の一部を提供しました。退避地では、ヒトも含めて陸生動植物のほとんどが一連の氷期極大期に生き残り、その現在の分布はおもに退避地からの氷期後の拡大を反映しています。これら氷期の退避地と移動への障壁はヒトの進化において重要な役割を果たし、現在世界で見られるヒトの遺伝的および民族言語的パータンのほとんどを生み出しました(関連記事)。コーカサスはヤムナヤ(Yamnaya)の遺伝的祖先系統(祖先系譜、ancestry)の約半分に寄与しました(関連記事)。つまり、ポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)の牧畜民です。

 この後期銅器時代から前期青銅器時代の牧畜民集団は、顕著な人口統計学的および文化的影響をユーラシアの大半に及ぼしました。たとえば、遺伝的影響やインド・ヨーロッパ語族や乗馬の拡大です(関連記事1および関連記事2および関連記事33)。インド・ヨーロッパ語族祖語は、コーカサスの古代語とポントス・カスピ海草原のウラル語族祖語の混合から生まれた、と仮定されています。したがって、コーカサスは過去と現在のユーラシアの遺伝的および文化的多様性の形成に重要な役割を果たしてきました。

 研究技術が進歩してより多くの標本が得られるにつれて、研究により、コーカサス人口集団の遺伝的変異と地理やさまざま民族性の指標との関連がさらに多く明らかにされてきました。コーカサスの常染色体ゲノムとミトコンドリアDNA(mtDNA)の変異は比較的均一に見えますが、Y染色体の多様性はコーカサスの東部と西部を区別する地理的不均一性を明確に示します。コーカサスにおけるこの東西の勾配は、ジョージア(グルジア)人を下位の民族集団に区別した場合、常染色体ゲノムの変異でも示されてきました。

 ゲノム規模の常染色体特性やミトコンドリアやY染色体のハプログループの研究から、現在のコーカサス南部では少なくとも13000年前頃となる上部旧石器時代後期にまでさかのぼる遺伝的連続性がある、と裏づけられます(関連記事1および関連記事2)。コーカサス北部では、この連続性はユーラシア草原地帯の人口集団との青銅器時代後の混合のため崩壊しました(関連記事)。現在、コーカサスにおける民族/下位区分民族集団間の遺伝的差異は、ヒトの移動の景観浸透性と相関しています。これは、民族的もしくは言語的境界というよりもむしろ、地形の険しさや森林被覆や降雪により決定されます。

 以前の研究の仮説は、次のようなものでした。コーカサス現代人の遺伝的構成はいくつかの異なる氷期退避地からのヒトの拡散により最終氷期と初期完新世に形成され、その後、大コーカサス山脈の人口集団間の遺伝子流動は、歴史時代にかなりの混合を経てきたコーカサスの他地域の人口集団間よりも少なかった、というものでした。退避地人口集団からのヒトの移動の性質を理解することが、この仮説を提示した研究の背後にある主要な動機でした。

 本論文は、コーカサスの現代の人口集団と過去の狩猟採集民人口集団との間のゲノム規模の遺伝的類似性を測定し、これらの人口集団間の遺伝的類似性が地理的特徴により決定されるのかどうか検証し、退避地人口集団のコーカサスへの主要な拡散経路を推測します。この研究の結果により、最終氷期から初期完新世を通じてのコーカサスの移住の全体像の再構築が可能となります。


●標本抽出と遺伝子型決定

 コーカサスの地理的および言語的に異なる集団の男性77人(表1)から標本抽出されました(図1)。その内訳は、ジョージアとトルコのカルトヴェリ語族話者、ロシア連邦との北西コーカサス語族話者とテュルク語族話者、ジョージア南部のジャヴァヘティ(Javakheti)州のアルメニア語話者で、アルメニア語話者は19世紀初期にトルコ東部のムシュ(Mush)とエルズルム(Erzurum)から逃れてきた人々の子孫です。各人口集団の遺伝的識別特性の代表制を最大化するため、標本は過去3世代にわたって各民族・地理的人口集団の外部からの祖先がいない地元の人々から収集されました。DNA標本は、常染色体693719ヶ所とX染色体17678ヶ所で遺伝子型決定されました。

 これらコーカサス現代人のゲノムデータに、既知のムブティ人10個体、上部旧石器時代から中石器時代の122個体のゲノムデータが組み合わされました。古代人の遺伝子型は、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)もしくは氷期退避地内に由来する個体が選択されました。古代人標本群は2000年間隔で区分され、次に地理単位でまとめられました(表2)。以下は本論文の図1です。
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●分析結果

 標本抽出された中で12個体は3親等と4親等の関係にあると推測されましたが、残りは無関係でした。標本抽出された現代人はほぼゼロ水準の近親交配を示しました。コーカサスの現代の人口集団間の平均Fst(遺伝的距離)は0.00951で、最大値はジョージアのヘヴスレティ(Khevsureti)集団(KHEVS)とジョージアのメスケティ(Meskheti)集団(MSKH)との間の0.027です。カルトヴェリ語族話者のAJARとSMGとIMRとKRTとKAKH(表1)の間では有意な違いはありませんでした。残りの集団は、これらの集団および相互と有意に異なっていました。現代人のデータのADMIXTURE分析では、全てのK値にわたってKHEVSとTUSHを他のデータと区別しました。K=2はKに応じて増加する交差検証誤差が最小でした。ADMIXTUREプロットは、南西と南(LAZとMSKH)から北と北東(CHCHNとKHEVSとTUSH)への勾配を示唆しました。

 主成分分析の第1軸と第2軸はアナトリア半島北東部(カルトヴェリ語族話者のLaz共同体)からコーカサス北東部(BalkarとKarachayとChechen共同体)への明確な勾配を示しました。大コーカサス山脈の主要な尾根の南側の人口集団は、北部の人口集団間よりも相互に密接に関連しています。北部人口集団は2つの明確なクラスタを示しました。それは、カルトヴェリ語族話者の北東部クラスタ(KHEVSとTUSH)と、北東コーカサス語族およびテュルク語族話者(CHCHNとBLKとKRCH)です。

 古代の人口集団を主成分分析の最初の2軸に投影すると、類似の勾配が生成され、アナトリア半島とレヴァントの古代の人口集団は古代のシベリアおよびヨーロッパの人口集団の反対側に位置します。これらの勾配では、レヴァントおよびアナトリア半島の古代の人口集団とアナトリア半島北東部の現代の人口集団が一方の端に、シベリアとヨーロッパの古代の人口集団とコーカサス北部の現代の人口集団がもう一方の端に位置します。古代のコーカサス狩猟採集民は現代のカルトヴェリ語族話者のSVNとSMGの変異の範囲内に収まりました。古代のアナトリア半島人とレヴァント人は現代の南カルトヴェリ語族話者(MSKH)とアルメニア語話者(ARM)の変異内に収まります。古代のシベリア人とヨーロッパ人は、大コーカサス山脈の主要な尾根の北側の人口集団(ChechensとBalkarsとKarachays)とより密接でした。

 一般的に、現代のコーカサスの人口集団は時空間的により密接なコーカサスの古代の人口集団と遺伝的により類似しており、この関係は現代の人口集団間の遺伝的違いをよく説明しました(図2および図3)。この類似性は、コーカサスとアナトリア半島とバルカン半島の初期の氷期後の人口集団で最高でした。コーカサス古代人の祖先系統はカルトヴェリ語族話者集団において最高で、ジョージア西部のイメレティア人(Imeretians)集団(IMR)とスヴァン人(Svans)集団(SVN)とメグレリアン人(Megrelians)集団(SMG)で最高に達します。つまり、古代コーカサス狩猟採集民(CHG)と地理的に最も近い人口集団です。

 アナトリア祖先系統は、ジョージア南部のカルトヴェリ語族話者であるメスヘティ人(Meskhs)集団(MSKH)およびラズ人(Lazs)集団(LAZ)と、トルコ北東部のインド・ヨーロッパ語族話者のアルメニア人集団(ARM)で最高でした。バルカンおよびシベリア祖先系統は、大コーカサス山脈の主要な尾根の北側の集団で最高に達します。つまり、ジョージア北東部のカルトヴェリ語族話者のトゥシェティ人(Tushs)集団(TUSH)と、ロシア連邦の北東コーカサス語族話者のチェチェン人(Chechens)集団(CHCHN)テュルク語族話者のバルカル人(Balkars)集団(BLK)です。以下は本論文の図2です。
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 コーカサス現代人と古代の人口集団との間のf3統計の遺伝的類似性は、最小コスト経路および最小コスト(LCD)の相互作用とこれら人口集団間の現在から過去への平均年代(BP)により最もよく説明されます。最良のモデルでLCDが示唆するのは、(1)ヒトの移動は地形の険しさ(TRI)により妨げられ、(2)ポスポラス・ダーダネルス海峡とイギリス海峡は障壁として機能せず、(3)沼地や氷河や砂漠は完全な障壁ではなかったものの、コスト節点の最高コストで浸透性があり、(4)砂漠の川辺と河川はTRI値で浸透性がある、ということです。つまり、コスト節点は、表3で特定された地理的特徴(2・4・6・8・10・12・14)の組み合わせでした。遺伝的類似性は一般的に、BPとLCDの減少につれて増加しました(図3)。以下は本論文の図3です。
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 このコスト節点により生成されたLCD.Dは、f4統計に基づく遺伝的類似性との最高の一致度を示しました(図4)。F3統計とLCDとの間、およびf3統計とBPとの間には全体的に負の相関がありました。f3統計とLCDとの間の部分相関は−0.297でした。LCDと遺伝的類似性との間の相関は、15950~5950年前頃の期間ではひじょうに有意でした。25950~17950年前頃となる氷期極大期には相関が低下しました。さらにさかのぼる25950年以上前には、ほとんどの場合で相関は有意ではありませんでした。以下は本論文の図4です。
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 本論文のモデルは、15950~13950年前頃と39950~37950年前頃となる古代の人口集団への遺伝的類似性と地理的近接性(景観浸透性の関数として)との間の不一致を示します(図3および図4)。コーカサスの全ての現代人標本は、最小コスト距離がより近いヨーロッパ中央部の15950~13950年前頃の標本群とよりも同期間のアペニン山脈標本群(図1)の方と多くの遺伝的類似性を有しており、ラズとアルメニアの全ての現代人標本は、最小コスト距離がより近いヨーロッパ中央部の15950~13950年前頃の標本群とよりも、同期間のアナトリア半島標本群の方と多くの遺伝的類似性を有ます。本論文のコーカサス現代人標本は、最小コスト距離がより近いバルカン半島の39950~37950年前頃の個体よりもアジア東部の古代人個体の方とより多くの類似性を示しました。

 本論文のモデルは、ユーラシアとアフリカの古代の人口集団から現代のコーカサスの人口集団への最小コスト経路を生成しました(図5)。ヨーロッパとシベリアとアジア東部の古代の人口集団からの全ての最小コスト経路は、ヨーロッパ東部平原とカスピ海北西部沿岸とムツクヴァリ(Mtkvari)川(クラ川)の氾濫原を経て大コーカサス山脈の南側の人口集団に到達しました。大コーカサス山脈の南側の全ての古代の人口集団は、カスピ海西部沿岸もしくはボスポラス・ダーダネルス海峡とヨーロッパ東部平原を経て大コーカサス山脈の北側の人口集団に到達しました。

 アナトリア半島の古代の人口集団からコーカサスの人口集団のカスピ海流域への最小コスト経路は、ボスポラス・ダーダネルス海峡を横断し、ヨーロッパ東部平原とカスピ海西部沿岸とムツクヴァリ川の氾濫原を通りました。アフリカとレヴァントとアナトリア半島とイランのアルボルズ(Alborz)州からの最小コスト経路は、ポントス山脈を横断するか、アラス(Araxes)川およびムツクヴァリ川の氾濫原を通ってコーカサス南部に達しました。アフリカからの最小コスト経路は、コーカサスに到達する前にレヴァントに収束しました。以下は本論文の図5です。
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 Fstは、f3およびf4統計の最良の説明となる同じ地理的特徴に由来するLCDと最も強い相関がありました。Fstに基づく近隣結合樹は、(1)ジョージア西部とトルコ北東部のカルトヴェリ語族話者人口集団、(2)ジョージア南部とトルコ東部のカルトヴェリ語族話者およびアルメニア語話者、(3)コーカサス北部の北東コーカサス語族話者およびテュルク語族話者、(4)他とは遺伝的に最も異なる大コーカサス山脈北東部のカルトヴェリ語族話者でそれぞれ一まとまりとなります。

 ジョージア中央部(KRT)と東部(KAKH)の標本抽出されたカルトヴェリ語族話者人口集団は、最も混合していました。追加のマンテル検定では、Fstが古代の4人口集団(アナトリア半島とバルカン半島とコーカサスとシベリア)からの寄与における違いと有意に相関していた、と示されました。これら古代の人口集団からの寄与の違いは、LCDとも有意に相関していました。LCDを制御した部分的マンテル検定では、Fstと古代の寄与との間の相関は有意ではありませんでした。古代の寄与の制御では、FstとLCDの相関は有意に減少しました。マンテル検定では、LCDと古代の祖先系統がコーカサスにおける現代の遺伝的変異のほとんどを説明する、と示唆されました。


●考察

 本論文の結果は、コーカサスの現代の人口集団がコーカサスとアナトリア半島とバルカン半島の狩猟採集民からの検出可能な祖先系統を有している、と示唆します。コーカサス狩猟採集民(CHG)は現代のコーカサスの人口集団にとって主要な遺伝的寄与者です。CHGのアレル(対立遺伝子)の割合は、ジョージア西部の遺跡群と近接した地域の現代の人口集団で最高となり、そこではCHGの遺骸が発見されていて(関連記事)、この地域から離れると徐々に減少し、アナトリア半島およびヨーロッパの古代人のアレルにほとんどが置換されます。これらの遺跡はコルシック(Colchic)退避地内にあり、そこではコーカサスにおいてLGMを含む一連の氷期極大期をヒトが生き延びました。本論文のモデルは、氷期後の早期に他地域からコーカサスへの狩猟採集民の移住が増加した、と示します。

 アナトリア半島古代人のアレルはジョージア南部およびトルコ東部の現代人、つまりジョージアのメスケティ(Meskheti)州のジョージア人とラズ人とアルメニア人のゲノムで最も高い頻度となりますが、ヨーロッパもしくはバルカン半島の古代人のアレルは、コーカサス北部の現代の人口集団において最も一般的で、ヨーロッパの狩猟採集民が小アジアというよりもむしろヨーロッパ東部平原を横断してコーカサスに移住した、と示唆します。注目すべきことに、レヴァントのナトゥーフ文化(Natufian)とアトラス山脈(アフリカ北西部)の古代人のゲノムは、アナトリア半島古代人のように同じ現代の人口集団と最も高いアレル共有を示しており、古代アナトリア半島人口集団がコーカサスに拡大する前に、これらの人口集団間で何らかの混合があったことを示唆します。本論文の主成分分析投影におけるコーカサスの古代人および現代人の遺伝的勾配の類似性は、上部旧石器時代後期から現代までの遺伝的連続性を改めて確証します(関連記事)。本論文はこの現象の理由を明確に説明します。

 コーカサスの現代の共同体における古代のさまざまな人口集団(移住源)の痕跡は、(1)拡散の物理的障壁により重みづけされた地理的距離、および(2)古代の人口集団の年代とともに減少します。この兆候は、現代の人口集団間を個々の古代の人口集団との類似性により区別するのに充分な強さです。本論文の分析から示唆されるのは、上部旧石器時代および中石器時代の狩猟採集民の退避地人口集団の拡大は、起伏の多い地形や沼地や氷河や砂漠により大きく妨げられ、コーカサス現代人におけるこれら狩猟採集民の遺伝的遺産は、退避地の人口集団間の景観浸透性によりよく説明される、というものです。古代の遺伝的痕跡と景観浸透性との間の関係は、退避地人口集団が時間的にコーカサス現代人とより近ければより強くなり、特定の祖先的地域と関連する遺伝的痕跡が、遺伝的浮動とその後の混合事象の結果として消えていく、と示唆されます。

 本論文のモデルはひじょうに高い性能を示しましたが、15950~13950年前頃と39950~37950年前頃の古代の人口集団では、遺伝的類似性と地理的近接性(景観浸透性の関数として)との間の不一致を説明できませんでした(図3および図4)。コーカサスの全ての現代人標本は、地理的により近い15950~13950年前頃のヨーロッパ中央部標本よりも、同年代のアペニン山脈標本の方と多くの類似性を有しており、ラズとアルメニアの全ての現代人標本は、地理的により近い15950~13950年前頃のヨーロッパ中央部標本よりも、同年代のアナトリア半島標本の方と多くの類似性を有しています。これはおそらく、氷期後初期のアナトリア半島狩猟採集民とコーカサスおよびヨーロッパの狩猟採集民との混合、およびこの時期のアジア東部(ユーラシア東部)狩猟採集民とヨーロッパ狩猟採集民との混合に起因します。

 これらの混合事象が本論文の景観浸透性と組み合わされた結果、コーカサス狩猟採集民の遺伝的痕跡を有するアナトリア半島古代人が、ヨーロッパ中央部狩猟採集民に対してよりも、ポスポラス・ダーダネルス海峡およびバルカン半島を通ってアペニン山脈の狩猟採集民へと多くの遺伝的影響を与えた一方で、ヨーロッパ中央部狩猟採集民はユーラシア草原地帯を通じてアジア東部(ユーラシア東部)狩猟採集民からより多くの遺伝的影響を受けた、と示唆されます。これら東方から西方への混合事象は、技術的発展もしくは自然選択を通じての利点(たとえば、致命的な感染症への耐性)を通じて促進されたかもしれず、現代の人口集団の本論文の標本を、ヨーロッパ中央部の古代の人口集団よりもアナトリア半島とアペニン山脈の古代の人口集団の方とより密接に関連させます。

 39950~37950年前頃となる古代の人口集団の本論文の標本は、バルカン半島とアジア東部の単一個体によりそれぞれ代表されます。コーカサス現代人の本論文の標本が、地理的により近いバルカン半島の39950~37950年前頃の1個体とよりも、同じ年代のアジア東部の1個体の方とより多くの類似性を示すことは、二つの想定により説明できます。一方は、このバルカン半島の個体がどこかから移動してきて、あらゆる現代の人口集団に遺伝的に寄与しなかった、と示される場合です。もう一方は、現生人類がヨーロッパに45000年前頃に到来した時とLGMとの間で、気候が最も穏やかだった39950~37950年前頃に、ユーラシア東西間でより多くの遺伝子流動があり得た場合です。

 この遺伝子流動は、バルカン半島のこの1個体が旧石器時代および中石器時代のヨーロッパ人よりもアジア東部人の方と密接に関連している、という事実により支持されますが(関連記事)、ロシア西部の同年代の1個体は、アジア東部人よりも後のヨーロッパ人の方と密接に関連しています(関連記事)。氷期極大期には、起源となる人口集団はひじょうに断片化され、相互の遺伝子流動はなかったか限定的で、氷期退避地で生き延び、そこから人口集団が温和な気候期に拡大し、過酷な気候期には縮小して戻りました。したがって、本論文のモデルは、もし古代の人口集団間でその人口集団内よりも多くの遺伝的非類似性があるならば、コーカサス現代人における古代の人口集団の遺伝的遺産をよりよく説明します。

 現在でさえ、コーカサスの現代の人口集団間の遺伝的類似性(Fst)は、これらの人口集団間の接続地間の最小コスト距離と有意に相関しており、限定的な標本および遺伝的指標に基づく以前の研究と一致します。現代の人口集団間の遺伝的類似性は、同じ地理的特徴により重みづけられた最小コスト距離に最も強く対応しており、その地理的特徴は、古代と現代の人口集団間の遺伝的類似性を最もよく説明します。しかし、過去のメタ集団間の状況を考慮しなければ、現代の人口集団間の景観浸透性でコーカサスの現在の遺伝的構造の変異のかなりの部分を説明することはできません。

 大コーカサス山脈および小コーカサス山脈とポントス山脈の両方は、コーカサスを通っての推定されるヒトの移動をかなり妨げた、と示唆されます。大コーカサス山脈はヒトの移動にとって大きな障壁をもたらし、遺伝的多様性の南北の勾配と一致します。遺伝的分化は大コーカサス山脈の主要な尾根の南北の人口集団間で最も強く、大コーカサス山脈が最終氷期以降ヒトの拡散にとって重要な物理的障壁だったことを再度示唆します。しかし、大コーカサス山脈の同じ側の人口集団間の顕著な違いもあり、不均一な景観を通って入ってくる移民への異なる接触を示唆します。

 カスピ海の西側は、黒海の東側よりもヒトの移動にとってより浸透性があったようです。ヨーロッパとシベリアとアジア東部からの最小コスト経路のどれも、黒海の東側を通りませんでした。黒海の東側は、北は大コーカサス山脈、南は小コーカサス山脈とポントス山脈に囲まれていますが、カスピ海の西側はほとんど開けています。コーカサスの東端と西端との間の違いが、コーカサスにおけるY染色体と常染色体ゲノムの変異の東西の勾配を説明します。

 本論文では、コーカサスの他の民族集団の標本が対象とされておらず、もしそれらの民族から標本が得られていたならば、コーカサスの遺伝的構造についてより多くの情報が得られたはずです。しかし、得られた標本は本論文の仮説の検証には充分でした。これまでの研究は、現在の多くの共同体における古代の人口集団のゲノム規模の祖先系統を測定してきました。しかし、本論文が把握している限りでは、さまざまな地理的特徴の機能としての景観浸透性への現代と古代の人口集団間のゲノム規模遺伝的類似性の関係を推定し、退避地人口集団からの主要な拡散経路を推測したのは、本論文が初めてです。本論文のモデルは、コーカサスだけではなく他の地域との関連においても、先史時代の事象の拡散と移住の経路の年代を定めて地図を作成することに役立てます。異なる遺伝的痕跡の古代の供給源からの重みづけされた地理的距離と、この供給源との遺伝的類似性との間に有意な負の相関があることは、特定の経路で特定の年代に移住したことの証拠とみなせます。


参考文献:
Gavashelishvili A. et al.(2021): Landscape genetics and the genetic legacy of Upper Paleolithic and Mesolithic hunter-gatherers in the modern Caucasus. Scientific Reports, 11, 17985.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-97519-6

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