最初の芸術とは何か

 最初の芸術に関する見解(McDermott., 2021)が公表されました。スラウェシ島では遅くとも45000年前頃までさかのぼるイノシシ(図1)を描いた洞窟壁画が発見され(図2)、現時点では世界最古の具象芸術とされており、世界最古の芸術との評価もあります(関連記事)。しかし、どの絵画や描画や彫刻が「最古」という言葉に値するのか、議論の余地があります。考古学者が芸術をどう定義するのかによっても、この呼び名は変わってきます。以下は本論文の図1です。
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 スラウェシ島のイノシシは、確かに最古の具象的もしくは表象的芸術です。それは実物から描くもので、平均的な観察者が一目見て、抽象作品ではなくイノシシとして認識するようなものだ、とスラウェシ島の洞窟壁画を報告したブラム(Adam Brumm)氏は説明します。表象芸術は、ギリシアのヘレニズム美術の大理石の女神から、アメリカ大陸先住民のシャチやワタリガラスの仮面まで、芸術史において一般的です。以下は本論文の図2です。
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 非具象的もしくは非表象的表現もあります。キャンバス上のロスコ(Mark Rothko)のカラーブロックからトゥルイット(Anne Truitt)の色彩豊かな最小限の柱まで、現代劇場では豊富な事例があります。最初の抽象的な模様は、スラウェシ島のイノシシの洞窟壁画よりも数万年早く出現し、現生人類(Homo sapiens)や他の人類が、平行線や格子や円を貝殻や骨に刻みつけました。しかし考古学者の間では、これらが実際に芸術的表現の最初の煌めきなのかどうか、意見が分かれています。

 ドイツで最近発見された、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の所産と考えられている51000年前頃の骨に刻まれた線(図3)を含む、具象的および抽象的画像両方の最近の発見により、芸術はいつ本当に、どの種で誕生したのか、という問題への関心が高まっています。考古学的証拠に加えて、古代の線刻の写真を用いた現代の認知実験があります。この研究は、彫刻が元々「芸術」、つまり視覚を刺激するために意図的に作られた画像や線刻として意図されていたのかどうか、研究者が認識するのに役立ちます。以下は本論文の図3です。
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●手と火明かり

 進化認知考古学者のスタウト(Dietrich Stout)氏は、旧石器時代芸術の研究において、何が芸術なのかわからないことに大きな問題がある、と打ち明けます。スペインのアルタミラ(Altamira)で1880年に洞窟壁画が発見された時、考古学者は偽造と推測しました。数十年後、アルタミラの洞窟壁画が遅くとも13500年前頃と明らかになってさえ、研究者は芸術の定義にあまり時間を費やさなかった、とスタウト氏は指摘します。見れば分かる、というわけです。アルタミラの洞窟壁画には、技術やさまざまな素材や絵を描く時の灯りが必要です。それらは、19世紀のヨーロッパの美術館が展示するような、抽象的なものよりも具象的なものを多用した絵のようでした。

 これは初期の考古学者には、ヨーロッパの洞窟壁画を描いた人々が認知的には完全に現代的で、粗野なものから比較的洗練されたものへと急激に変わったのではないか、と考えられました。これにより、現実世界の印象を頭の中で思い浮かべ、岩の線を用いることで、それらの印象の物理的表現が可能となりました。直接的証拠がないにも関わらず、その頃の考古学者は、旧石器時代の芸術家が、言語や抽象的思考や宗教など、他の「現代的な」特徴の全てを有していたに違いない、と推測しました。初期の考古学者が想像していたような芸術は、最初期のヨーロッパの洞窟壁画と同時に創造的な革命を起こし、それはフランスの当時としては最古の洞窟壁画となるショーヴェ(Chauvet)洞窟の3万年前頃のことでした。

 しかし、これは軽率な結論と分かりました。現生人類では脳サイズが過去50万年間あまり変化しておらず、問題のある概念だ、とスタウト氏は指摘します。現代文化の多くでは、具象的芸術も抽象的芸術も作られています。したがって、ヨーロッパの具象的な芸術作品が、表象的芸術技術を有する新たな集団の到来を告げるものではなく、認知的飛躍の証拠である、と仮定する妥当な理由はありません。重要なのは、「革命」との発想がヨーロッパの考古学的記録のみを見ていた人為産物だったことです、とスタウト氏は指摘します。ヨーロッパにおける移住の兆候は、急激な革命的変化との印象を与えていましたが、他地域ではもっと緩やかな変化だった、と分かっています。現在、世界中で「芸術」表現に多様性が見られ、具象的芸術を「現代的」特徴のより広範な一括品の主要な指標としてみなす理由はもはやない、とスタウト氏は指摘します。

 スタウト氏は、現在考古学の分野にはいくつかの異なる陣営があり、それぞれが微妙に異なる定義に固執している、と考えています。それは全て、明らかに現代の難問である、芸術とは何か?の核心に迫っています。芸術とみなされるものの最も一般的な基準は、明らかな実用性のない行動です。たとえば、スラウェシ島のイノシシを描くために用いられた赤色顔料のオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)です。この顔料は具象的芸術に先行するより古い遺跡でも発見されており、顔や他の身体部位の装飾として芸術的に用いられたかもしれませんが、その証明は困難です。オーカーは、たとえば動物の皮の加工など、実用的にも用いられます。ある種の美的原理もしくは意味を伝える意図がじっさいにあった、というより強い証拠を求める考古学者もいる、とスタウト氏は指摘します。たとえば、ビーズは装飾品ですが、集団の独自性を示すこともあります。しかし、その実用性を除外することは困難です。

 それでも、合意が得られつつある分野もいくつかあります。現生人類の芸術がヨーロッパで4万年前頃に始まった、との考えは「崩れかけている」とブラム氏は指摘します。スラウェシ島のイノシシの洞窟壁画は、その先駆けとなります。このイノシシの絵は表象的で、ヨーロッパにおける同等の具象画よりも5000年以上先行する、とブラム氏は指摘します。スラウェシ島のイノシシの洞窟壁画は、最古の具象的芸術ではないかもしれません。インドから中国までの狩猟採集生活を描いた洞窟の風景は、もっと古い可能性があります。

 大きな課題の一つは、ほとんどの洞窟壁画の年代測定が難しいことです。たとえばインドネシアでは、1950年代にアンテドンゲ(Leang Tedongnge)の一部地域で洞窟壁画が最初に報告され、それは伸ばした手の周りに一口の顔料を吹きつけ、洞窟の壁につけたものでした。最近まで、インドネシアの高温湿潤な環境ではそれほど古くないだろう、と推測されていました。塗料はすぐに侵食されるだろう、というわけです。

 しかし2011年に、ブラム氏たちは、インドネシアの石灰岩洞窟の一部の壁画の上に形成された、ポップコーン型の成長物に気づきました。これは、絵が描かれた後しばらくして形成されたようです。この成長物は、鍾乳石に似た方解石の沈殿堆積物と明らかになりました。この成長物は、何世紀にもわたって何百もの硬化層に蓄積します。ウランとその崩壊物であるトリウムの比率を測定することにより、ポップコーン型の堆積物の最古層が年代測定されました。2014年に、手形の上のポップコーン型の堆積物は少なくとも4万年前頃だと公表されました(関連記事)。その後、インドネシアの他の洞窟で狩猟場面が発見され、最古の具象的芸術の年代は43900年前頃までさかのぼりました(関連記事)。2021年には、上述の現時点で世界最古の表象的芸術とされるイノシシの絵に関する研究が公表されました(関連記事)。スラウェシ島でのこれらの発見は、表象的芸術がアジアで始まったことを示唆している可能性がありますが、より可能性が高いのは、人類史を通じての表象的芸術の軌跡の一部にすぎないことです、とブラム氏は指摘します。最古の壁画は現生人類の出アフリカ前にさかのぼる、とブラム氏は予想しています。


●記号と意味

 「芸術」を構成するものに関する他の解釈は、異なる起源の物語を示唆しているかもしれません。つまり、現生人類で始まるとは限らない、ということです。抽象的表現の証拠は50万年前頃までさかのぼり、ジャワ島のホモ・エレクトス(Homo erectus)がジグザグ形の線を貝殻に刻みました(関連記事)。ドイツのネアンデルタール人が居住していた洞窟では、51000年前頃となるシカの骨に刻まれた抽象的な三重のL字型バターンが発見され、ホラアナグマの頭蓋1点とシカの肩甲骨2点との間に置かれていました。顕微鏡検査とCT走査により、骨の三次元画像が明らかになり、骨では彫刻が正確に刻まれ、きちんとした確度で切りつけられており、それらが道具から偶然切り刻まれた跡ではなく、意図的に作成されたことを示唆します。この彫刻は骨自体の放射性炭素年代測定により51000年前頃と水位呈されており、この遺跡の道具がネアンデルタール人的な特徴を示すことともに、現生人類がヨーロッパに到来する数千年前に作られたことを示唆します。

 この線刻のある骨を報告したリーダー(Dirk Leder)氏は、この発見について収穫が二つある、と指摘します。まず、ネアンデルタール人には意図的な象徴的表現を構築する能力があった、ということで、これは過去には議論となってきました。次に、芸術の起源は45000年前頃よりもずっと長い時間枠にさかのぼる、ということです。現生人類とネアンデルタール人はともに表象的ではないとしても、表現的で伝達的な線刻や描画を行なっており、今後も議論は続くでしょうが、芸術的表現がネアンデルタール人や恐らくはそれ以前の人類によっても作られている、とますます認識されるようになるだろう、とリーダー氏は予想しています。

 リーダー氏たちの芸術の定義が主観的に見えるならば、そうです。しかし、認知科学者たちは、象徴性の起源を正確に示すことにより、さらに客観的な評価を試みています。一部の考古学者は、それぞれの落書きには何らかの意味を示している、と主張します。たとえば円は「馬」を意味するかもしれませんが、その形態は動物とはまったく似ていません。他の考古学者は、彫刻を美的には興味深いものの、それ以外には意味のない装飾と考えています。

 この問題の解決のため、認知科学者のティレン(Kristian Tylén)氏は2017年から考古学者と協力して、南アフリカ共和国のブロンボス(Blombos)洞窟や他の遺跡の10万年前頃までさかのぼる線刻を用いて研究しました。ティレン氏たちは、現代人を対象とした一連の認知実験を設計しました。たとえば、刻まれたパターンがどれほど識別可能か、といった検証です。たとえば、単純な格子から図像や単語に進化するなど。経時的にパターンが特定のものを意味するようになる何らかの適応的圧力があったならば、数覧年にわたってパターンがより記憶に残り、区別しやすくなる、と考古学者は予測するでしょう。

 実験では、被験者たちに古代の線刻、たとえば、画面上で数秒間点滅した画像が見せられ、次に記憶から見たばかりのパターンを再描画するよう指示されました(図4)。象徴性の進化と一致して、より新しい人工物は以前のものよりも思い出しやすい、と示されました。しかし、同じ研究の別の一連の実験では、参加者はできるだけ早く同じパターンに一致しました。この場合、研究者たちはより新しい若しくはより新しいパターンの識別可能性に意味のあるパターンを見つけられませんでした。これらの落書きは最初の芸術と考えるべきで、特定の意味を示す伝達標識ではなく、美しくて視覚系を刺激するように作られた、とティレン氏は指摘します。以下は本論文の図4です。
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 神経考古学者であるホジソン(Derek Hodgson)氏は、2019年に本質的な同じ結論に達する見解を公表しました。最初の意図的な模様は平行線か交差が多く、神経が水平線と垂直線にとくに敏感な視覚野の偏りに起因している、とホジソン氏は考えています。記号がより大きな象徴的意味を持てば、言語が異なるように、文化ごとに象徴的意味の間の違いがより大きくなると予測される、とホジソン氏は指摘します。しかし代わりに、最初の格子やV字型や線は、世界中で限られた数の形状で現れており、視覚的に興味深いものの、明示的に意味はない、とホジソン氏は示唆します。

 しかし、ホジソン氏の理論と反するような見解がすぐに提示されました。デリコ(Francesco d’Errico)氏は機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いて、54万~3万年前頃の線刻、景観、物体、アルファベットでの意味のない単語、古代の書記体系である線文字Bの断片など、さまざまな画像と、これらすべての刺激の組み換え版により刺激された、脳領域を特定しました。デリコ氏たちは、全ての刺激の組み換え版が参加者一次視覚野で処理されことを明らかにし、これは、脳によるそれ以上の処理なしの単純な視覚認識を示唆します。しかし、線刻は脳領域を物体の認識方法と同様のパターンで活性化しており、組織化された視覚表現として処理され、象徴的意味づけのために用いられたかもしれない、と示唆されます。

 現代の研究の一つの制約は、現代人の被験者を用いることです。たとえば、デリコ氏の研究では、複雑な形態と関連する領域での現代人の脳の活動が、何千年も前の象徴的意味の証拠として解釈されています。問題は、現代人が読み書きを学んできたため、脳のその領域にひじょうに象徴的な脳力を持っていることです、とホジソン氏は指摘します。人々が文字を用いる前に脳の領域が同様に活動したのかどうか分からない、というわけです。デリコ氏は、今後刊行予定の研究で、考古学者の脳活動のパターンを非専門家のそれと比較することにより、現代人で研究する限界に対処しようと計画しています。専門家と非専門家の両方が、実際の線刻と、線刻のように見える意図的ではない自然の模様の集合を見ます。考古学者は、じっさいの線刻に必要な手の動きを覚えている脳の運動野を用いることで、意図的ではない模様をすぐに見つける必要があります。現代の専門家の脳の反応を、現代の非専門家のそれと比較することは、過去の象徴的意味を推測するために、現代の参加者の反応を用いるよりも公平である、とデリコ氏は指摘します。

 デリコ氏は芸術がひじょうに曖昧な概念であることを、注意深く指摘します。デリコ氏やティレン氏やホジソン氏たちは、芸術の曙について明確に議論しているわけではなく、むしろ象徴的な物質文化の出現と進化について議論しています。カラハリのサン人は平行線の記号を用いて、たとえば矢の所有権を示します。その模様には象徴的役割がありますが、サン人は芸術ではなく職人技とみなします。それでも、一部の考古学者が、芸術的であるには表現は象徴的であるべきだ、と主張するので、象徴性の出現時期は依然として、芸術の始まりと関連する問題です。

 デリコ氏は個人的には、そうした見解に同意しておらず、象徴性と芸術は必ずしも関連していない、と指摘します。研究者たちが象徴性の定義で何らかの合意に達したとしてさえ、芸術自体の定義について一致に達するのは難しいでしょう。そうした一致は、芸術時代の信念から逸脱する可能性があります。デリコ氏は、特定の社会が芸術家にとって独立した役割を有している、との証拠がなければ、集団が「芸術」を作った、と述べることに躊躇います。芸術は誰かが芸術家として社会的役割を得る時に社会で始まる、とデリコ氏は考えています。その場合社会は、誰かが特別な訓練と他の人にはできない経験を有すると認識している、というわけです。

 では、最初の芸術はいつだったでしょうか?答えは、考古学者がどの芸術の定義を支持し、考古学者が問うている特定の研究の問題に依存します。抽象的な芸術は原始的で、表象的芸術に進化した、との見解はますます説得力を失いつつあるようです。ティレン氏は、抽象的な芸術とスラウェシ島のイノシシの洞窟壁画など具象的な作品には独立した起源があるかもしれない、と推測しています。ヨーロッパでは、一部の旧石器時代の動物の小立像は、表象的芸術の始まりの後に出現したようで、ずっと古いパターンと類似した抽象的な線刻で装飾されています。これは、二つの表現の同時形態を示唆します。一方は、純粋に美的で抽象的であり、もう一方は、少々的で表象的であり、おそらくはより複雑な認知を必要とします。

 今後、スラウェシ島のイノシシの洞窟壁画が最古の具象的芸術ではなくなるかもしれません。ブラム氏は現在、スラウェシ島とニューギニア島のインドネシア側との間の島々の調査資金を申請中で、最初にインドネシアの島々を下り、65000年前頃にオーストラリアの北端に到達した人々の経路をたどっています。ブラム氏は、スラウェシ島の東側の未調査の島々で、スラウェシ島よりも古い壁画が見つかることを期待しています。これまで未調査の島々の絵がオーストラリアの最初の住民と同じくらい古ければ、19~20世紀の一部の考古学者が考えていたよりも少なくとも2倍の期間、この地域の最初期の旅人は芸術表現を有していた、と示唆されます。考古学者を初めとする人々の関心をそそるのは、このような大きな問題と歴史の修正です。それは考古学で最大級の問題の一つで、現代人の祖先もしくは近縁がいつ芸術の連続体である模様もしくは形態を作り始めて、その理由は何だったのか、注目されます。


参考文献:
McDermott A.(2021): News Feature: What was the first “art”? How would we know? PNAS, 118, 44, e2117561118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2117561118

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