皇室典範改正論議とY染色体をめぐる問題

 皇室典範に関する有識者会議が設置され、皇位継承法を主眼とした皇室典範の改正が盛んに議論されたのは小泉内閣後期のことでした。この議論は秋篠宮妃の懐妊により下火になり、2006年9月6日の秋篠宮妃の男子出産により、ほとんど終息してしまった感があります。

 その意味で、今頃になってこの問題を取り上げるのは流行に乗り遅れた感があるのですが、最近この問題についてちょっと調べることがあり、この機会に雑感を述べておこうと考えたしだいです。ただ、議論が終息してしまった感があるとはいえ、議論の原因が根本的に解消されたとはとても言えないので、現在でもブログなどで発言している人はいるようです。

 この問題の焦点となったのは、皇位継承の方法でした。現行の皇室典範では、皇位継承資格者は男系男子に限られており、女子は結婚にあたって皇籍を離脱せねばなりません。戦前と比較して皇族の数が激減し、皇室でも一夫一婦制が採用され、2006年9月6日までの40年以上にわたって、皇室に女子しか生まれなかった(9人)という状況では、やがて皇位継承者が途絶えてしまうということで、皇室典範の改正が議論されたのでした。

 上述したように、この議論は2006年9月6日の秋篠宮妃の男子出産により、当分は皇位継承者の断絶という事態が避けられそうだということもあって、ほとんど終息してしまった感があります。この問題では日本国民の間でも合意ができておらず、票にもなりにくいということで、麻生外相(当時)の40年先送り発言に見られるように、政治家はおおむね皇室典範の改正をめぐる議論に消極的になってしまったようです。

 とはいえ、皇位継承は男系男子に限り、女子は結婚にあたった皇籍を離脱し、一夫一婦制を維持するという状況は変わっていませんから、皇族の数が将来さらに減少するという状況はほとんど変わっていません。したがって、将来また皇位継承者が途絶えそうになるという事態も考えられますから、近い将来に皇位継承法も含めて皇室典範の改正が再び問題となることでしょう。そのとき、小泉内閣後期において議論となった、男系のみで継承するのか女系も認めるのかという問題が、再び蒸し返されることでしょう。

 男系派の根拠は伝統です。確かに系図を見るかぎりは、男系にこだわって皇位継承がなされたと解釈するのが妥当だろうと思います。最初のほうの系図は信用できないと言う人もいるでしょうし、私もそうだろうと考えていますが、信頼性が高くなると思われる欽明以降としても、男系による皇位継承には1500年近い歴史があります。これは、じゅうぶんに伝統としてよい期間でしょう。

 伝統重視を打ち出しているだけあって、男系派には保守派を自認している人が多いようですが、保守派の側からの男系絶対論にたいする批判もあります。それは、日本と中国・朝鮮との親族構造の違いを指摘し、男系絶対視は中国の影響である、というものです。皇位継承における男系へのこだわりに中国の影響があるのか否か、実証は困難だと思いますが、影響があったと考えるほうが妥当だろうとは思います。

 ただそれでも、皇位継承における男系へのこだわりは日本の伝統と言ってよいでしょうし、そもそも男系以外にどのような皇位継承原理があったのか、根拠をもって示すことができる人はいないでしょう。漢字や仏教など、中国に起源があったり中国に影響を受けたりした日本の文化要素は多数ありますが、それらは時代とともに変容しつつも、今では日本文化を構成する伝統の一部となっています。伝統を重んずるのであれば、皇位継承における男系へのこだわりが中国の影響によるものだとしても、それを否定することは難しいでしょう。

 そうしたこともあってか、現在保守派の間では男系支持が圧倒的なようで、女系容認などと言えば、日本の伝統を知らない無知な輩と嘲笑されるような雰囲気さえあるように思われます。しかし上述したように、現在の制度で男系を維持していけば、やがて皇位継承者が途絶えてしまうことにもなりかねません。そのための対策としては、
(1)皇室においては一夫多妻制を復活する。
(2)戦後に皇籍を離脱した旧宮家の人々に皇族に復帰してもらう。
という二案が考えられます。

 しかし、(1)を主張する人はほとんどおらず、男系維持論者の代表と言える八木秀次氏も、国民感情からしても現実的とは言えない、と雑誌で述べています。これは、おそらく国民感情だけの問題ではなく、欧米先進国からの視線にも配慮してのことではないでしょうか。伝統を主張する八木氏といえども、欧米の近現代文明の影響を強く受けた現代日本社会で生まれ育ち暮らすいじょう、近現代欧米文明の規範に逆らうことは容易ではないのでしょう。

 そこで八木氏は、皇室典範に関する有識者会議でも、(2)を強く主張します。予算の問題はともかくとして、この場合も、国民感情からして容認されるかというと、疑問でしょう。それでも八木氏がこの案にこだわるあたりに、やはり近現代の日本における欧米文明の影響の強さが認められるように思います。


 この八木氏が、上記二つの引用先からも分かるように、男系の正統性の根拠の一つとしてY染色体の継承という点を挙げています。これがネット上で面白おかしく伝えられて、初代天皇の神武のY染色体を継承していれば天皇になれるのか、などと八木氏を批判・嘲笑する人もいますが、Y染色体の話はあくまで根拠の一つであり、この批判は的外れだと思います。このY染色体の問題について、ここではちょっと真面目に考えてみることにします。

 人間の場合、性染色体にはY染色体とX染色体があります。性染色体の組み合わせは、男性ではXY・女性ではXXとなります。Y染色体は、一部X染色体との組み換えがあるとはいえ、基本的には男系でしか伝わりません。これにたいし、X染色体も常染色体も、祖先からどのように伝わったのかはっきりしません。

 おそらく八木氏の見解の趣旨は、男系での継承ならば、初代天皇の遺伝子が(突然変異による蓄積はあるものの)はっきりと伝わっていることが確認されるのであり、男系の正統性の根拠の一つとなり得る、というものなのでしょう。もっとも、ミトコンドリアならば原則として女系でしか遺伝しませんから、八木氏的な論理にしたがえば、女系のみの継承の遺伝学的根拠となり得ます。しかし、皇室において女系継承の伝統は確認できませんし、支持する人もごくわずかにとどまるでしょうから、八木氏にとっては論外ということなのでしょう。

 さて、これまで初代天皇という言葉を用いてきましたが、正直なところ、誰が初代天皇なのかはっきりしませんし、今後も確定は難しいでしょう。神武のY染色体という言葉がネット上で独り歩きしている感がありますが、八木氏も「仮に神武天皇を初代といたしますと」と述べているのであり、神武と限定せずともよいでしょう。継体・欽明・天智・桓武など、各人が納得する天皇を思い浮かべればよいと思います。

 また、そもそも天皇位は兄弟間やかなり家系的に離れた者同士でも継承されているから、万世一系とは言えないのではないか、との指摘もあるでしょう。おそらく、一系という言葉の一般的な印象から判断すると、天皇位の継承はとても一系とは言えないでしょう。ただ、傍系相続を根拠に旧宮家の皇籍復帰を主張する八木氏にとって、それは承知のことであり、この場合の万世一系とは、血統による世襲・男系のみによる皇位継承・皇統が決定的に分裂または対立することがない(せいぜい南北朝時代ていどで治まる)、と考えておくとよいでしょう。

 この問題については、北畠親房の「凡の承運」と「まことの継体」という概念が理解の手助けになるでしょうが、かりに将来旧宮家の方が皇籍に復帰して天皇となった場合、「まことの継体」の大規模な再編が必要となり、はたして国民的な支持が得られるか疑問という意味でも、旧宮家の皇籍復帰という八木氏の主張には弱みがあると言えそうです。

 さて、話をY染色体に戻しますが、八木氏のY染色体論を嘲笑する人のなかには、立花隆氏の見解を引用し、八木氏のY染色体論は破綻している、とあっさり結論づける方が少なくないようです。しかし、すでに立花氏の見解には錯誤があることが指摘されており、八木氏のY染色体論にたいする有効な反論にはなっていません。

 立花氏は「神武天皇のY染色体を受け継ぐ人々はゴロゴロいる」と述べていますが、神武のY染色体を継承しているのは皇位継承の根拠の一つであり、「神武天皇のY染色体を受け継ぐ人々」が「ゴロゴロ」いたところで、八木氏の見解への反論にはならないでしょう。それよりも、系図がはっきりとしており、皇室(ロイヤルファミリー)としての自覚があるか(またはわりと近年まであったか)、ということを八木氏は重視しているのだと思います。Y染色体には遺伝子が少ないとの批判も、Y染色体の遺伝がはっきりとしている、つまり初代天皇からの長期にわたる継承が遺伝学的に明確だということに意味があるのですから、「量」的な観点からの批判は有効ではないでしょう。

 また、「ゴロゴロいる」とする立花氏の計算にも問題があります。立花氏は、Y染色体は男性にしか伝わらないということと、偶発系統損失の問題を考慮に入れていないため、めちゃくちゃな数字を出しています。たとえば立花氏の仮定のごとく、歴代の天皇に二人の子供しかおらず、(立花氏は明記していませんが)生まれてくる子供が男子(女子)である可能性が50%だとすると、初代天皇(神武ではなく、継体・欽明・天智・桓武でもかまいません)の子供の世代においてすでに、初代天皇のY染色体が失われる可能性が25%となります(二人とも女子だった場合)。

 世代が進むたびにこの可能性は高まり、100代も経てば、初代天皇のY染色体を継承する子孫がいる可能性はきわめて低くなります。つまりY染色体であれば、男性の子供が女性だけだったとか、男子が二人いたけどその男子に女子しか生まれなかった、とかいった偶然により簡単に失われやすいわけです(母系遺伝のミトコンドリアであれば、男と女を逆にして説明できます)。Y染色体やミトコンドリアではこの偶発系統損失が簡単に起き、父系・母系での遺伝であるため、遺伝学的なアダムとイヴの年代を特定することができますし、現生人類の拡散経路の復元にも利用されています。

 まあそれはともかくとして実際にはどうなのかというと、皇族は他の人々よりも子孫を残す機会に恵まれているので、初代天皇に由来する(しかし当然、突然変異は蓄積されていきます)Y染色体を持っている日本人男性は、かなりの数になる可能性がありますが、具体的にどれだけの人数・割合になるかというと、皇族も含めて全国規模での詳細な調査が必要でしょう。ただ、皇族には結婚前に出家した人も少なくありませんし、おそらく「ゴロゴロいる」とまではいかないでしょう。

 では、このようなY染色体論とは、男系による皇位継承を主張するうえで有効なのかというと、そうではなくむしろ有害なのではないか、と私は思います。その根拠は二つありますが、まず一つ目は、社会的・法的な父親と生物学的な父親とが異なる場合があり得る、という素朴な疑問です。飛鳥時代以降の朝廷において、このような「間違い」がどのていどあったのか分かりませんが、曖昧模糊とした継体以前ならまだしも、平安時代以降にこのような間違いがあった場合、Y染色体論を根拠の一つとした男系皇位継承論は大きな打撃を受けることになります。

 もっとも、前近代においては基本的に天皇陵の管理はいい加減でしたから、遺骨がはっきりとしない天皇も珍しくないでしょうし、持統以降の天皇は火葬になった人が多いでしょうから、遺骨が特定されたとしてもY染色体の採取・分析は難しそうです。まあそもそも、八木氏をはじめとしてY染色体論者のなかに、本気で歴代の天皇と現代の皇族のY染色体を調べよう、と考えている人がいるとも思えません。

 二つ目の理由につながってくるのですが、それならば、Y染色体など持ち出さずに、男系継承という伝統をひたすらに主張すればよいのではないでしょうか。じゅうようなのは、男系による皇位継承がなされてきたという社会的合意(前近代においては、その社会の範囲は必ずしも広くなかったかもしれませんが)のはずです。Y染色体論は、男系論者にとっては地雷でしかないでしょう。

 そもそも、皇位継承法のような物語性の強い社会的合意事項に、安易に自然科学の概念を持ち込むことは、自然科学の成果を中途半端に社会的分析の文脈に取り入れた、社会進化論や優生学と似たような危険性を感じます。またY染色体論者は、よく意味も分からずに数学や物理学の用語を使用していたとしてアラン=ソーカル氏に批判された、フランスの現代思想家たちと通ずるところがあるようにも思われます。

 八木氏らがこのように中途半端に自然科学の概念を根拠として持ち出すのは、けっきょくのところ、伝統を強調し保守主義者を自認しながら、現代日本においては近現代欧米文明に屈しなければ生き辛いからでしょう。八木氏らが科学という言葉に惹きつけられてしまうのは、彼らが毛嫌いしているだろう左翼と変わらず、その意味では、よくも悪くも左翼と同じく近現代欧米文明に強くとらわれていると言えるのでしょう。

 その点では、Y染色体論による皇位継承法についての議論を一蹴する、南出喜久治氏らの見解のほうが、伝統を重んじる保守主義者としては健全だろうと思います。まあ私は天皇制廃止論者なので、南出氏の見解にはまったく賛同できませんが、一つの意見としては有だろうと思います。

 もっとも極論を言えば、自然科学といえども社会的合意(約束事・虚構)にすぎません。ただ、分類・区分して程度の違いを見出す能力は、現生人類の間でとりわけ発達したものであり、鉄と銅の違いや鯛と河豚の違いや石材の違いなど、分類・区分は文明に限らず現生人類社会の基礎の一つになっています。

 科学も大きな意味で物語・虚構にすぎないと開き直れば、文明どころか現生人類の社会は成立しません。現生人類社会以外の生活様式を採用するのであればそれもよいでしょうが、文明の恩恵を享受するのであれば、そのような態度をとるべきではないでしょう。その意味で、物語色の強い社会的合意事項と科学とは厳しく区別し、両者が安易な相互依存に陥らないよう、我々は注意すべきなのでしょう。

"皇室典範改正論議とY染色体をめぐる問題" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント