中世人の心性と大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』への違和感

 彼等は、感情を表すことにはなはだ慎み深く、胸中に抱く感情を外部に示さず、憤怒の情を抑制しているので、怒りを発することは稀である。互いにはなはだ残忍な敵であっても、相互に明るい表情をもって、慣習となっている儀礼を絶対に放棄しない。胸中を深く隠蔽していて、表面上では儀礼的で丁重な態度を示すが、時節が到来して自分の勝利となる日を待ちながら堪え忍ぶのである。

 こうした民族論・文化(文明)論は日本でも盛んなのですが、上記の執念深く陰湿な心性の人々は誰のことかというと、「日本人」のことです。これは、清水克行『日本神判史』(中央公論新社、2010年) の記事
http://sicambre.at.webry.info/201006/article_15.html
で言及した、同じ著者の『喧嘩両成敗の誕生』(講談社、2006年)よりの孫引きで(P30~31)、戦国時代に日本列島へと渡って来たキリスト教宣教師ヴァリニャーノによる記録です。過去のことは水に流し、忘れやすい日本人、という通俗的な日本人論とは大きく異なる日本人像なので、あるいは、「外国人」による偏見・誤解ではないか、との疑問が呈されるかもしれませんが、上記の見解を裏づけるような室町時代の「国内史料」があることは、『喧嘩両成敗の誕生』にて論じられています。

 一方で、『喧嘩両成敗の誕生』には、室町時代の「日本人」が、身分や年齢の上下に関わらず強烈な名誉意識を持っており(もちろん、その在り様は身分・年齢により異なるのですが)、現代の日本人からすると些細なことで殺人にまで発展した事例が複数紹介されています。強烈な名誉意識を持ち、現代人からみると些細なことで激烈な行動に出ることもある一方で、敵対者にたいしても、当座は愛想笑いなどで隠忍自重し、ひたすら好機を窺うという陰湿な面も見られますが、これらは相反する心性ではなく、両立し得るものだったのだろう、と思います。『喧嘩両成敗の誕生』が対象としている時代は、おもに室町時代なのですが、ヴァリニャーノの観察は戦国時代後期のことであり、本書で指摘されたような心性は基本的には戦国時代後期についても当てはまり、またそうした心性を前提に考えると、理解しやすいことがあるのではないか、と思います。

 それは、たとえば黒田家や佐竹家のように、敵対的な関係にあった有力者を自領に招いて謀殺するという事件が戦国時代後期においても見られることで、なぜのこのこと敵対的勢力の催す酒宴に赴くのか、と思春期の頃は不思議に思っていたものですが、敵対的な相手にたいしても表面上は礼儀を尽くす、という中世人の心性を前提とすると、理解しやすいのではないか、と思います。織田信長が弟の信勝を謀略で死に追いやったことや、足利義教が、おそらくは自身と赤松満祐との間のきな臭い噂を知りながら、祝宴のために満祐の屋敷に赴き、殺害されてしまったことも、上記のような心性を前提とすると、理解しやすいのではないか、と思います。

 こうした、敵対者にたいしても当座は隠忍自重し、ひたすら好機を窺うという陰湿な心性の形成にあたって、武士社会についていえば、室町時代以降、煩雑な儀礼が武士社会での常識とされた、という事情が大きく影響しているのではないかと思いますが、そもそもそうした煩雑な儀礼は、強烈な名誉意識に起因する激烈な行動を抑制する目的もあって普及した、社会的合意(それには無自覚的なところがあったかもしれませんし、暗黙のもので非明示的なところがあった、と言えるかもしれませんが)の産物と言えるのかもしれません。それは、武士社会のみならず、朝廷においても同様で、朝廷の煩雑な儀式は、激情・生々しい暴力を抑制するための社会的合意という側面が多分にあったのではないか、と思います。この問題については、素朴な印象論との批判はあるでしょうが、以下の久米邦武の指摘(「鎌倉時代の武士道」)が、重要な手がかりになるのではないか、と思います。
http://sicambre.at.webry.info/200804/article_13.html

 京の公卿と云ふ者は後に文弱になつて女同然に思はれて居たけれど、それは遥か後の事で、全体は日本の民族中で一番武勇に仕込まれた、先天的に其性を備へた人種であるから、全国総ての種族を征服してあの通りに国家を定める事になつた。だから今の皇族方でも華族でも、京都華族は元は公卿といつて弱いと思ふたけれども、明治以後になつて武術を励むことは京都華族の方が却つて宜い。宜いのは即ち原の胤が違ふ。武勇の胤である。さう云ふ訳ですから奈良の朝から平安朝迄は非常に京都の人が強かつた。強かつた代りに喧嘩をして皇族方を始め血を流すことが多かつたが、其禍が減ずるやうになるにつれて弱くなつたのです。弓馬の道は其中から現はれて来たから、弓馬の道が武士道と一口に言へば、武士が現はれて公卿は武事が出来ぬと云ふ様に聞ゆるに因つて、弓馬の道が即ち武士道と云ふ訳にいかぬ。

 私は以上の見解を前提としているので、今年の大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』には、どうも違和感を拭えません。『江~姫たちの戦国~』では、主人公の江が、日本の実質的な最高権力者である秀吉にたいして、顔を引っ掻いたり、足をかけて転ばせたりするなど、傍若無人の振る舞いを続けています。これは、秀吉が信長の配下だった頃からのことなのですが、主君といえども家臣の反逆に戦々恐々としていた時代に、秀吉が信長の配下だった時といえども、このような無礼な振る舞いが容認されるかというと、はなはだ疑問です。

 秀吉は「好機」を窺っていたけれども、単に「好機」が到来しなかったのだ、と苦しい弁解をしてもよいのですが、作中ではそのような描写がまったく見られないことは、言うまでもありません。また、江のようなあるていど上位の階層の出自の女性ならば、戦国時代といえども、こうした無礼な振る舞いはしないよう、しっかりと教育されるものだと思います。この件に限らず、『江~姫たちの戦国~』の脚本は、当時の人々の価値観をあまりにも無視しています。当時の人々の価値観を無視して「ホルモンドバドバ」の恋愛話を描くのならば、戦国時代を舞台にした作品ではなく、現代劇でやってもらいたいものです。

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